第1話『陽太の隠れサークルクエスト』


 九月が終わり、二ヶ月半に及ぶ、大学に入って始めての夏休みが終わった。
 しかし森水陽太はそう悲観してはいない。彼は夏休み中、暇で暇で本当に死にそうになったのだ。人の苦の一つに退屈が数えられている意味が身に染みた。
 アルバイトは一応やっているが、時給が高い割に仕事がない。楽で良いではないかと人は言うかも知れないが、楽だと言う事は裏を返せばやはり退屈だと言う事だ。
 本はあまり読む方ではないし、テレビゲームも受験が終わると熱が冷めた。勉強しなくてはならない時に限ってやりたくなるのだから始末が悪い。
 友達と遊ぶと言うのも選択肢の一つだったが、陽太は下宿の身、つまり、高校のあった故郷から相当離れているので、ほいほい遊びに行ったり遊びに来たりできる訳ではない。
 それに彼は昔から変わり者だと言われて敬遠されており、本当に友達と呼べる人間は少ない。
 そして大学に入ってからの友達は今のところバイトを通じて知り合った一人だけである。

「陽太ァ!」と、後ろから声を掛けて来たのは、その彼の唯一の友人である住之江健太郎だ。
 固そうな名前をしているが、本当の性格は全くの逆で、軽い性格。
 センスのいい丸眼鏡に、長く伸ばした髪を後ろで束ねている。

「久しぶりやな〜、俺が居らんで寂しかったんちゃう?」
「まあな。二ヶ月もどこに行ってたんだ?」

 陽太の大学での唯一の友達である住之江は、八月、九月と、完全に行方不明になっていた。
 いなくなるとは聞いていたので慌てはしなかったものの、彼が退屈を嫌と言うほど味わった原因の大部分はこの住之江の失踪にある。

「ヒ・ミ・ツ」
「ふーん」

 住之江は人の事はよく聞いてくるくせに自分の事になるとほとんど話さない。
 しかし、陽太も、あまり人の事に立ち入らない性格なので、この「ヒ・ミ・ツ」が出ると、これ以上は突っ込んで聞かない。

「ところで、何なん、それ?」と、住之江が指差して尋ねたのは俺が持っている一部の薄い冊子である。
 答えを待たずに住之江は陽太の手からそれをひったくり、中身を確認した。
「なんや、入学式の時に配っとったサークル案内の冊子やん。こんなもん読んで何すんの?」
「サークルを選ぶ以外に何に使う?」
「丸めて人殴ったり、火ィ付けて放火に使うたり、文字切り取って脅迫状つくったり」
「……もう少し穏健なセンはないのか?」と、陽太は指折り数えて冊子の使い道を上げてゆく住之江を止める。
 しかし穏健なセンはなかなか出なかったようで、十秒数えた後、やっと一つひねり出す。
「……読書レポートを書く、とか」
「やっと出た案がそれかい」

「何でまたサークル入る気になったん?」
「ん、夏休み中、暇だったからな」

 このままでは大学での友人が住之江のみと言う事態になりかねない。華の大学生活をそんな寂しく終わらせてたまるものか。
 そんな訳で、陽太は夏休みが開けたらどこかのサークルに入ろうと決めていた。
 春に入らなかったのは、大して興味の湧くサークルが見つからなかったからであるが、今回は意地でも興味の湧くサークルを見つけて入ってやるつもりでいた。
 だが春にこの冊子を見て興味が湧かなかった。秋になっても思考は変わる事がなく、この冊子に載っているサークルには興味が持てない。

 サークルには二種類がある。
 学校公認のサークルと非公認のサークルだ。
 学校公認のサークルと、人数の多い大手の非公認サークル(イベント系が多い)ならばこの冊子にも載っているが。
 学校は広く、他にも多くのサークルがある。
 例えば中の良いお馴染みの友達同士が集まり、いつも一緒に遊んだり、勉強したりするのも一種のサークル活動だ。

「狙うならそんな感じで、密かに存在している隠れサークルが良いな。できるだけ変わったサークルだ。飽きない、金のかからない奴がいい」

 陽太はマイナー派だ。あまりポピュラーなものを好きにはならない。中学生の時だって、プレステではなくセガサターンを持っていたくらいである。

「どうやって探すん? そんなモン」

 住之江に尋ねられると彼はにやりと笑って聞き返した。

「住之江、変ったクラブはどこに存在してると思う?」
「分かっとったら聞かへんよ」
「ズバリ学校の秘境だ」

 その答えに、住之江は眉を潜めた。

「……それ、単なる偏見ちゃうん?」


 それでも陽太は構内の秘境の探索を始めた。
 特に人のあまり行かない、埃を被った空のロッカーや、錆びたりしていかにも立て付けの悪そうなドアのあるところなどだ。
 だがなかなか見つからないものである。そういうところにある部屋は倉庫とか、ボイラー室とかだ。
 中には何もない部屋もあった。……壁に付いている赤黒い染みが気になるところだったが。

 しかし問題が一つ。

「……何でお前が付いて来てるんだ?」

 住之江である。授業とかが別でない限り、こいつはいつも陽太と一緒にいようとする。
 同性愛者と言う訳でもない。何と言うか、そう、陽太に懐いている、と言うのか。
 彼は時々住之江が一度餌をやってしまった野良犬に見える事がある。

「まあええやん。気にせんで」

 この「ええやん」というのは彼の口癖だ。大抵本当にまあいいか、という気にさせられるのだが、たまに腹立たせられる事がある。
 今回は前者だ。住之江が陽太の行くところに付いてくるのは今に始まった事ではない。


 しばらく、放課後に構内の秘境を探索する生活が続いた。
 大学のキャンパスとは広いもので、なかなか探索する場所は尽きない。もっとも、陽太は全く見つからずにまた暇になる事を恐れ、一日に探すところを一つに限定していた。
 探しはじめて一週間目になる日、つまり七カ所目で、陽太達は大学の三つの校舎の一つであるA館の裏手を探索しようと回り込んだ。
 構造上、そこに回り込むには非常に面倒臭い回り道をしなければならず、よって、そこに人はあまり寄り付かない。

「へぇ、こんな場所もあったんやな」と、住之江が感心したように言う。
「校内図には載ってないし、外見もあまり目立たないからな」
「で、陽太は何でこんな場所知ってんの?」
「教室の窓から裏手が見えるんだよ。どうやっても行く道が見つからないから、春に一回捜しまわって見つけたんだ」
「……て事は、陽太は一回ここに来た事があるワケやな?」
「そういう事になるな」
「で、何かあった?」

 住之江の問いに陽太はピタリと歩みを止めた。

「……思い出したくない」
「無かったんやな? 何にも」
「でもその時はただ単に活動する日じゃ無かったのかも知れん」
「じゃ、今まで見て来たとこかて同じ……」
「どうかしたのか?」

 急に住之江が歩みを止めたので、陽太も足を止めて後ろの住之江を振り返った。
 住之江はしきりにあたりの臭いを嗅いでいる。

「なあ、陽太、何か変な臭いせぇへん?」
「臭い?」と、彼も鼻を利かせてみる。

 確かに何か臭う事は臭う。それは身近な感じがする臭いだったが、何の臭いだったか思い出せない。
 ただ、この臭いが酷く場違いなものである事は確かだった。


「煙草……じゃなさそうだな」

 足を進める間に、その臭いはだんだんとはっきりしたものに変って行く。
 そこの角を曲がれば目指すところ、というところで、彼等は足を止めた。先ずはそーっと角から覗き込む。

 その校舎の裏はすっきりと開けており、その広さは家が一件建ちそうで、そう、その空間はさながら近所の空き地である。
 その奥にダイオキシン問題でその存在価値をすっかり否定されてしまった焼却炉がある。

 問題はその真ん中にあるものである。
 炎を上げて燃え上がる落ち葉の山。その傍に置かれているものは、どう見ても七輪である。
 しかもその網の上に乗っているのは脂が乗っていてとても美味しそうな秋刀魚である。さっきからしていた臭いはこの秋刀魚の臭いらしい。

「何や? あれ」
「俺に聞くな」

 七輪の秋刀魚と落ち葉の焚き火の関連性など問われても答えられる訳が無い。
 しばらくそのまま様子を見ていると、そこに二人の人間が現れた。

 一人はいい身体をした、褐色の肌を持ち、頭を角刈りにした、いわゆるマッチョな男である。体育教師なんかがよく似合いそうだ。
 もう一人の男は優男だが、長身で、さらさらの髪を品よくまとめている、なんだか繊細そうなイメージのある男だった。

「あ、あぶねぇ、もうちょいで秋刀魚を焦がすところじゃねェか」と、マッチョな方が紙皿と箸を持って七輪に駆け寄った。
 そしてもう一人の男に、「坂本、イモの方頼んだぜ」と、焚き火を指差して指示する。
 坂本と呼ばれたもう一人の繊細そうな男は長い、物を拾う為のはさみを手に焚き火の方に近付く。
 そしておもむろにそのはさみを焚き火の中に突っ込むと、中からところどころ焦げているサツマイモを取り出した。
「美味しそうに焼けてますよ、波瀬さん」
「嘘付け、ちょっと焦げてるじゃねェか」と、マッチョな男、波瀬が芋を指差して口を尖らせる。
 すると坂本は芋を二つに割ってみせた。
「皮を少し焦がすくらいでないと中身がホコホコにならないんですよ。
 美味しい中身をより美味しく食べる為に、元々大して美味しくない皮に犠牲になってもらったのです。
 私は私の私欲の為に皮の断末魔の叫びに敢えて耳を塞いだ……」
 そして坂本は何を思ったか突然跪き、天を仰いで唱えた。
「ああッ、神様、罪深き私をお許し下さい……え? 気にするな? 有り難うございます」


 やたらと大袈裟な身ぶりで妙な事をのたまわっている坂本を見ていた陽太と住之江は呆然としていた。
 波瀬はというと、慣れているのか、一度呆れ返った様子でため息を付いただけで、何もいわない。

「何か……」と、陽太が住之江にちらりと目をやる。
「うん」と、住之江はその視線に気が付くとこくりと頷いた。「可笑しな人たちやなぁ」


 そして二人はまた観察を続ける。
 波瀬と坂本はそれぞれ秋刀魚と芋を手際よく火の中から回収すると、奥に向かって大声で呼び掛けた。

「出来たぞ、とっとと出てきやがれ!」

 すると奥の死角から二人の女と一人の男が出て来た。
 女性陣は二人ともなかなかの容貌だった。
 一人は長身でモデルでも通用しそうな体格をしている。明るく色を抜いた髪はショートカットにしており、快活そうな感じが伺える。
 もう一人は対照的に日本的な髪を背中の真ん中までまっすぐ伸ばし、姿勢正しく、その一挙一動が丁寧で、まさに大和撫子、といった印象を与えている。

 出て来た中では唯一の男というのが異様だ。
 黒髪をオールバックにし、黒いサングラスを掛けている。
 これだけ描写すると、名字の漢字を逆さまにして読んだものを芸名にしている某有名タレントを思い起こすが、実際はそれとは全く別の風貌である。
 先ず、輪郭はがっしりとしているし、表情は固そうだ。
 そしてバランスのよい体格から示される態度には威厳に満ち溢れている。
 服装も異様だ。背広の下に来ているカッターシャツ以外は全て真っ黒。このまま葬式に出向いても全く支障がないくらいだ。

「ふむ、なかなか旨く焼けているな」と、サングラス男が更に盛られた秋刀魚とサツマイモを見て言った。
「当然じゃねェか。魚を焼くのは七輪が一番なんでい、分かったか、ブショーめ」と、波瀬がサングラス男、ブショーの前でふんぞり返ってみせる。
「秋刀魚の七輪はともかく、どうしてサツマイモを落ち葉の焚き火で焼くのさ? 石焼き芋の方が美味しいじゃないさ」と、早速焼き芋と食べながら言ったのはショートカット女である。
「秋刀魚の七輪はともかく? それは聞き捨てならねェな、吉岡」
「まぁまぁ」と、ショートカット女、吉岡を睨む波瀬をなだめるのは坂本である。
「落ち葉の焚き火で芋を焼くのは秋の風物詩ってやつですよ。いつも一番美味しい食べ方でなくても、風流でいいじゃありませんか」

「そうかしら?」と、小さな、しかしよく通る声で、疑問を発したのは大和撫子である。
「どう言う事です? 和泉さん」

 坂本が聞き返すと大和撫子、和泉は小さな口の中に含んだ芋を飲み込んでから答えた。

「そもそも焼き芋を食べること事体風流なのかという事よ」

 確かに焼き芋を食べるのに風流も何もあったものではない。
 自分の論を否定された坂本は、わずかな抵抗を試みた。

「いーえ! 焼き芋を食べることは決して風情のないことではありません! よく考えてみて下さい。
 先ず外見! この赤い皮と黄金の中身! その色合いは美の骨頂です。
 そして味! 焼いてよし、煮てよし、蒸かしてよし。これほど万能的な食物は他に例を見ません。そして食物繊維をたっぷりとることが出来ます。
 おまけに初心者でも育てることが可能な、強い植物です。
 戦時中、人々の飢えを一番やわらげてくれた食物は何ですか!? サツマイモでしょう?
 戦時中ろくな食べ物がなかった中、サツマイモは人々に美味を与え続けました。
 そのような健気な食物を食べるというのに何の風情も生じないというのですか!?」
「ええ、そうよ。私は、戦争を経験しなかったもの」

 坂本はがっくりと頭を垂れる。こう返されては何の反論もすることが出来ない。これは分かっていた。だからこそ、わずかな抵抗と述べたのだ。

「ブショーさんはどう思います?」
「ふむ」と、話を振られたブショーは返事をした後、数秒ばかり考え込んでから答えた。
「落ち葉で焚き火は確かに風流だ。そのついでに焼き芋を作るのは決して野暮ではないと思う」
「やはりサツマイモは風流ではないと?」
「少なくとも私にはその風情は理解出来ない」と、ブショーはあっさりと肯定した。

 坂本は自分の論を支持するものが見つからずいよいよ困った顔をする。

「そこの二人はどう思う?」と、ブショーはおもむろに尋ねた。
「「そこの二人?」」

 坂本と和泉が揃って聞き返す。この中でサツマイモに関してコメントをしていないのは波瀬だけである。
 そしてその波瀬は秋刀魚について目下、吉岡と口論中であった。

「何で焼き芋をやってる横で秋刀魚なのさ?」
「たまたま秋刀魚が特売だったからでい!」
「たまたま? じゃあ、今日重たい思いをしてまで七輪とここらじゃ売ってない備長炭を持って来てたってことだね?」
「うっ……」

 その口論な間に、ブショーはもう二つ紙皿を出し、たまたま二つずつ余っていた秋刀魚とサツマイモを皿に取り分けて立ち上がる。
 その視線は明らかに陽太達の方に向いていた。
 だが、彼が向かったのは彼が出て来た死角のあたりである。

「?」

 陽太達は自分達の存在がばれてしまったのかと思ったが、どうも違うらしい。

「び、びっくりしたぁ」
「絶対ばれたと思ったで」と、二人が安堵の表情を見せたその時。
「その認識は間違いではない」と、いう第三者の声と共に、彼等の背中の方からぬっと、秋刀魚とサツマイモの乗る皿を持った手が肩ごしに伸びて来た。

「「う、うわああぁぁぁぁ!」」

 波打つ鼓動の弾みで心臓が口から出て来そうなくらい仰天した二人は慌てて他四人のいる、裏庭の真ん中に転がり込んだ。


 突然の乱入者二人を今まで口論をしていた波瀬と吉岡、ブショーの消えた奥を見ていた坂本と和泉が注目する。
 その視線に二人は思わず引き攣った笑みで答えた。

「え〜と、俺達はその〜……」
「別に、何者っちゅう訳でもなく……」
「かといって絶対に悪い事をしていなかったかと聞かれるとそう答える自信はなく……」

 しどろもどろの『北の国から』の純口調で弁解を試みる。
 その背後からブショーがやって来た。
 それに気付いた二人は反射的に校舎の壁まで後ずさった。その様子を見てブショーは怪訝そうに尋ねる。

「何故、君達は私をそう怖がるのかね? 私の外見は見て驚かれるほど、恐ろしいものではないと思っていたが」
「奥に消えたはずの人間がいきなり背後に立ってたら、そりゃ吃驚しますよ!」と、陽太が、答える。
「馬鹿な、私は怪獣でもなく、目標に気付かれるような間抜けな暗殺者でもない、れっきとした普通の人間だ。普通の人間が後ろに立っているだけで君は驚けるのかね?」
「……普通の人間?」と、顔をしかめたのは陽太達ではなく、その周りの波瀬達だった。
「そうだ、その証拠に私の心は君達のその反応に少なからず傷付いている」
 しかし心に傷を負ったにしては彼の言葉に抑揚はなく、表情も眉一つ動かさないので、この言葉を本気に取った者はほとんどいなかった。
 しかも次の発言で完全にその信憑性は失われた。

「まあそれは置いておいて」
(置いとくのか!? 心の傷を!?)と、陽太は心の中で突っ込む。
「取り敢えずこれを食べたまえ」と、ブショーは二人に両手に持っていた皿を差し出した。
「口封じの代償だ。遠慮はしてくれない方がこちらとしては助かる」
「口封じの代償?」
「この大学の規則でね、構内での許可のない焚き火の類いの火遊びは禁じられている。君達が訴え出るところへ訴え出れば我々は処分を逃れられないだろう」
「んな大袈裟な」と、住之江が答える。

 その住之江を陽太が制した。

「住之江、ここは黙っていただこう。もらえるモンはもらった方がいい」

 陽太の言葉にブショーも然りと頷いた。

「そういう事だ」


 そして皆で焚き火を囲んで秋刀魚と焼き芋を食べた。

「そう言えばみなさんはどういった団体なんですか?」と、陽太が割り箸で秋刀魚の身をほぐしながら尋ねた。
「我々の団体名はKWCだ」
「KWC?」
「『こだわり道倶楽部』の略だよ、ええと」と、ブショーの代わりに答えた坂本が陽太を指差す。何を尋ねんとしているかを察した陽太は自己紹介をした。

「森水陽太、文学部の一回生です」
「俺は住之江健太郎、法学部の一回生です、よろしゅう頼んます」と、焼き芋にぱくついていた住之江も名前を言う。
 それに応えて、ブショーが焚き火を囲む面々を紹介していった。

「森水君に住之江君だね、憶えておこう。ではこちらのメンバーを紹介しよう。
 今、君達の名前を尋ねたのが文学部二回生の坂本君だ。
 彼は時々、自分の世界に入って大仰な言動をする事があるが、無害なので心配しなくてよろしい。むしろ慣れれば見ていて面白くなるので付き合ってみて損はあるまい。

 その隣に座っている厳つい顔をした男が波瀬君、社会学部三回生だ。
 彼は江戸っ子気質だが、出身は実は群馬だ。住之江君は関西人らしいが、いいライバルになるかも知れないな。ちなみに、この焚き火の傍に七輪を持って来たのは彼だよ。

 その隣のショートカットの女性が吉岡君、経済学部二年生だ。
 言ってみればあねご気質でね。言動は乱暴だったりするが、その本質はただの世話好きだ。何か頼むと、ブツブツ文句を言うが、快くやってくれる。

 その隣に座っている大和撫子が和泉君、文学部二年生。
 着物を着ていないのが残念な外見だけではなく、性格も大和撫子だ。態度は吉岡君と対照的に、誰にでも丁寧だが、芯の強いところもあってね、なかなか頼りになる。

 ここまでで何か質問は?」と、ブショーが聞くと呆れた様子で波瀬が言った。
「おめェの紹介がまだだろうが」
「ふむ、そう言えばそうだったな。しかし皆の分は私が私自身の独断と偏見で満ちた紹介をしてしまった。
 そこで私が自己紹介をすると言うのはどうもフェアじゃない。波瀬君、君がやりたまえ」

 そう命じられ、波瀬は面倒臭そうに頭を掻いた。やれやれとばかりにため息をついて始める。

「あ〜、コイツは法学部三年の武松ってんだ。
 俺がこいつをブショーって呼ぶのは武松の音読みだよ。おめェらももう分かってるだろうが、かなりの偏屈だ。この変人揃いのKWCを作ったのもコイツだよ」
「成程、君が普段私をどう思ってるか良く分かったよ」
「今さら言う事はねェと思ってたんだが」

 周りで他の者がうんうん頷く。

「ところでKWC……でしたか、どんな活動をしてるんですか?」

 陽太の質問に武松は腕を広げて、この場全体をさした。

「これが活動だよ。自分にこだわりを持ち、その信念を持って行動する。この場合は『秋と言えば落ち葉焚きだろう』というこだわりでこの行動に至っている訳だ。
 これは坂本君の発案なんだが、一人でやってもつまらないものは折を見て皆でやったりする。まあ、春の花見みたいなものだ。
 まあ、そこの波瀬君のように、ついでに七輪と秋刀魚を持って来て『秋と言えば七輪での焼き魚だろう』と主張する者もいる」

「俺、こだわりって言うのん、いまいち分からんのですけど?」と、今度は住之江が質問した。
「ふむ、難しい質問だ。こだわりとはある行動における己流のやり方の事だ。例えば森水君」
「はい?」と、不意に話を振られた陽太が、焼き芋から口を離す。

「君は焼き芋を食べる時、ある程度外の皮を食べてから中身を食べているね」
「そ、それが何か?」
「それは察するに、不味い皮と一緒に食べて中身の美味しさを損なわせたくないのだろう?」
「は、はあ」
「だが同じ考えをした者なら他にいる。坂本君だ。彼はもっと合理的に焼き芋を食べている」

 武松の言葉に全員が坂本に注目した。
 彼は皮を剥いては焚き火の中に放り、美味しい中身のみを味わっている。

「だって不味いモノなんて食べてもしょうがないじゃないか。地球の年齢は四十八億年! それに比べて人間の人生はたったの八十年! 人は出来るだけ快適に生きるべきなんだ! 焼き芋の皮を犠牲にしてでも! それで波瀬さんに文句を言われてもぉぉぉ!」

 またしても自分の世界に入ってしまった坂本を置いておき、元の話に戻る。

「彼はああ主張しているが、君は何故皮を食べるのかね?」
「勿体無いし、先に不味いモノを食べると後で美味しいモノを食べた時に余計に美味しく感じるような気がするんです」
「あぁ、それ分かるわ」と、住之江も同意する。
「だろ? だろ?」と、その理解に陽太が嬉しそうに言った。

「だがそれを説明しても坂本君はその食べ方は決してすまい。あの食べ方が彼の焼き芋を食べる時のこだわりだからだ」
「ゆずられへんもの、ちゅう事ですか?」
「いや、全くゆずらず、相手を理解しないのはただの頑固者だ。住之江君は今、森水君の食べ方に理解を示した。これが大切なのだ。相手を理解し、その者のこだわりとして認めてやる。これがこだわり道というものだ」
「こだわり道ですか?」
「そうこだわりの道だ。これを探究し、個々を認め合い、己の個性を磨く事こそ、我々KWCの活動なのだよ」

 で、こだわりを認め合い、己の個性を磨いた結果、ここまで個性的な集団が出来上がった訳だ、と陽太はある意味納得した。


「このKWCの活動については一通り述べてみたが、君達はこの倶楽部に入部する気はあるかな?」

 武松はついに、といった感じでその質問を繰り出して来た。
 三十秒と考える暇を与えず、武松は次の言葉を発した。

「今は答えない方がいい。一週間後、君の結論を聞かせてほしい」
「はあ。じゃ、今日は失礼します」と、陽太と住之江は秋刀魚の骨だけが残された紙皿を、武松に渡して去った。

 その背後でまた新たなる口論が起こっていた。

「どうして大根おろしと醤油がないのさ!」
「醤油なんざ掛けなくても、今の秋刀魚は十分旨ェんだ、文句垂れんなコンチクショー!」
「それは違いますよ! 旨いものをより一層旨く食べる為に必要なんですよ! ただ、僕としては醤油よりポン酢のほうが……」
「坂本! あんた日本人のくせに醤油を裏切る気なのかい!」
「ポン酢だって立派に日本の調味料だよ!」


「なんちゅーか、エッライ個性的なところに当たってもうたなぁ。で、どうすんの? 入んのなら俺も付き合うたるけど?」
「住之江、お前俺に付いてくる以外にしたい事ってないのか?」
「無いな。あかんか?」
「駄目だな。少なくとも、部屋まで付いて来てタダ飯を食べる事はな」

 ここは陽太の下宿で、二人は小さなちゃぶ台に向かい合って座っていた。そのちゃぶ台には二杯の牛丼が乗っていた。

「ま、ええやん。一人で食うのも淋しいやろ?」と、住之江はしれっと応えた。
「だが、俺の懐も寂しくなる」と、陽太は住之江に一冊の大学ノートを突き付けた。

 住之江がそれを広げてみると、そこにはたくさんの数字が書き込まれたりしている。それは家計簿だった。

「大学生が家計簿つけてんの?」
「家計を切り詰めるのに要るんだ。月末の欄を見てみろ」

 いわれた通りに月末の残金の欄を見てみると、そこに書かれてある数字は決して余裕があるとはいい難い数字だった。

「じゃ、今年の四月から今までの親からの仕送りを見てみろ」
「……だんだん減っとる」
「親の負担は少ない方がいいと思ってな。こっちに来てから工夫して節約生活を始めたんだ。
 節約ってのはただガムシャラにケチればいいってもんじゃない。計画立ててするものなんだ。やってみて成功すると結構ハマるぞ」と、説明する陽太は明らかに得意げである。

 住之江はその大学ノートに目を通し、ふと目を上げてもう一つのノートの存在に気が付いた。

「こっちのノートは?」

 答えを聞く前に、住之江はそのノートを開けた。そのノートのはじめのページにでかでかと題名が書かれている。

「『節約生活のルール?』」

 その中には、節約する為に守らなければならない禁止事項や、役に立つ方法等が、どれくらいの成果をあげるのかさえ書かれていた。

「第一条、衝動買いは絶対にしない。欲しいものが出来たら一旦帰って良く検討すること。
 第二条、風呂は水道代を食うので二日に一回。
 第三条、あまり我慢するのは良くないので、たまにはちょっとした贅沢を味わう。
 第四条、豆腐はわくわく商店街の菅原とうふ店が一番安い。
 第五条、わくわく商店街の八百屋のオヤジはおだてると最大四割り引きにしてくれる。(夕方、閉店前が狙い目)
 ……エラいこだわりようやな」
「これもこだわりっていうのか?」

 陽太に聞かれ、住之江はウーンと唸った。


 陽太と住之江はそれぞれ似ても似つかない勉強をする学部に所属しているが、水曜日の四限目だけは同じ授業を履修している。
「陽太ァ! 逢いたかったでぇ!」と、先に教室に来ていた陽太に住之江が飛びついて来た。

 それを慣れた動きでひっぺがすと、陽太は鞄の中から筆記用具と教科書、ルーズリーフを出した。その途中で、陽太はふと手を止めた。
「あれ? シャープペンが無いぞ?」と、筆箱の中身を全部引きずり出す。
「家に忘れて来たんちゃう?」
「そっか、昨日、家計簿付けんのに使って筆箱に入れんの忘れたんだな」
「俺の貸したろか?」
「ああ、スマンな」と、陽太は住之江から一本のシャープペンを受け取った。
「なあ、ところでなんで陽太っていつも一番前の席に座りたがるん?」
「勉強する気になる為だ。一番前に座ってさあやるぞって姿勢になったら気分までそんな風になると思うんだ。
 外見だけ勉強してるだけでも、教授が俺の印象を良く受け取って、得する事があるかも知れない。実際俺の受けてる授業の何人かの先生は俺の事を憶えてくれてるぞ」
「へぇ」と、相槌を打ちながら住之江は鞄からノートを取り出す。それを見て、陽太は眉をしかめた。

「住之江はノートを使ってんのか?」
「だってルーズリーフって違う教科のん混ざり合うたりして、めっちゃ扱いづらいんやもん」
「でもノートは忘れたら悲惨な事になるぞ。仕方なく他の教科のノートの後ろを破って使うのは嫌だろ」
「あ、そのへんは大丈夫。陽太にルーズリーフもらえばええ話やし」
「あのな、一週間で重なる授業はこれしか無いんだぞ?」

 陽太が呆れ面をしたところで、授業の先生が教室に入って来た。


 授業が終わった後、陽太ははあ、とため息を付いた。

「どないしたん、陽太?」

 住之江が訪ねると、陽太は黙って住之江にシャープペンを返した。

「書きにくくてロクにノートがとれなかった」
「そう? 俺はそうは思わへんけど?」と、住之江はシャープペンをカチカチ鳴らした。
「ああ、お前の貸してくれたのが悪いという訳じゃ無いんだ。使い慣れて無いと駄目だな」
「へえ、そんなにエエの使うとるんや?」

 住之江のイメージでは陽太の筆記用具はほとんど百円ショップで揃うものばかりだと思っていたので、意外だった。

「いや、前に懸賞の五等賞で当たった奴なんだが、もう五年近く使ってるからな」
「物持ちエエなぁ。皆精々一年使えばええ方やで。あとは壊れるか無くすかや」と、住之江は素直に感嘆の意を示す。そして付け加えた。
「こういうのこだわりの品って言うんかな?」
「………」

 陽太と住之江はあれから一週間の放課後には毎日、他の秘境でサークル探しをした。しかし他の秘境にはなかなかサークルと言うものは存在せず、在っても、全く興味の湧かないサークルだった。
 エロスと黒魔術の関係を追求する『エロイムエッサイム研究会』。部費ン十万円、月に一回海外旅行に行く『海外ツアー振興会』。テレビの影響で毎月大食い選手権、食わず嫌い選手権などが開かれる『食い物大会倶楽部』。
 ちなみに一番人数が多かったのは『食い物大会倶楽部』である。


 そして、約束の日の昼休み、彼は大きな袋に入ったお菓子を食べていた。

「……それ昼飯?」
「ああ、昨日の夕飯余らなかったからな。誰かさんがお代わりしてくれたお陰で」

 陽太の皮肉に、住之江が何故、昨日お代わりを出すのを渋った理由を知り、少したじろぐ。

「で、なんでお菓子なん?」
「安くて腹にたまるからだ。たった百円だぞ。この際栄養バランスは無視だ」と、ペットボトルに入った天然水を飲む。
「陽太はいつもその天然水やな」
「違う、水道水だ。天然水のボトルに入れればちょっとは旨く感じるだろ」

 住之江は少し、不安を憶え、ボトルの賞味期限の表示を見てみた。五ヶ月も前である。入学当初から一度も代えていないらしい。

「……こだわり?」
「ま、そうだ。モノは何でも大事に、だ」
「サークルのこだわりの方はどうすんの?」
 陽太は食べ終わった菓子の袋を丸め、水を飲み干して聞き返した。

「住之江はどう思う?」
「最近ずっと観察してて思ったんやけど、陽太ってようさんこだわりがあるから結構合うとる思うで」
「で、俺の当初のサークルの条件は?」
「隠れサークルで、飽きなくて、部費が少なくてすむ、興味の持てるサークル……やったな」
「そんなの他にあったか?」

 住之江は黙って首を振る。

「じゃあ、決まりだろ」


 その日の放課後、陽太と住之江は一週間前彼等と遭遇した裏庭に行った。
 しかしそこに人の気配はない。

「そう言や、こないだはたまたま落ち葉焚きやっとっただけで、いつもここにいるとは限らへんねんな」と、住之江が裏庭の真ん中に来て腕を組む。
「しまったな、会う場所を決めておけば良かった」と、良太は少し悔しそうに指をぱちんと鳴らす。
「でもこの前、あの波瀬さんとか言う人この辺で出てこんかいちゅーて叫んどらんかった?」

 住之江の言葉に良太がぴくりと顔をあげる。

「つまり部室はこの近くにある?」

 二人は周りを見回すと、隅の目立たないところに、下り階段があるのを発見した。もはやここまでは校内地図には乗っていないし、教室から見えると言う事はない、まさに秘境だ。

「前から思ってたんやけど、この大学の構造ってなんか変ちゃう?」

 住之江の疑問に、陽太は頷いた。

「日本近代建築にあるまじき非合理性だよな」

 校内地図を見ても、建物の各階のレイアウトは全く違うものとなっているので非常に分かりにくい。
 新入生だったころ教室に行くのに毎回迷わなければならなかった。
 幸い教師達もその事は心得ているようで、最初の二、三回は遅刻を大目に見てくれた。


 下り階段の奥には左右の壁に二つずつで、四つのドアがあった。その奥には大きなロッカーが置かれている。
 こんな秘境に四つも部屋があって何に使われているのだろうか、という疑問を抱きながら、二人は中を進む。

「陽太、どの部屋も電灯付いてへんで」
「電灯を付けていないからと言って中に誰もいないという証拠にはならない」と、陽太は一つ一つのドアのノブを回してまわった。
 しかし一つとして鍵の開いているドアはない。

「やっぱここには無いんかな?」
「しかしここ以外にそれらしい場所はなかっただろう……ん?」

 廊下の真ん中で思案顔をしている陽太が何かに気が付いた。

「どうかしたんか?」
「……魚臭くないか?」
「秋刀魚か?」
「それが分かったら俺は魚河岸で働ける。でもあれほど香ばしくはないな。もっと生臭い」

 それを聞いて住之江も鼻をひくひくさせて周りの臭いを嗅ぐ。

「……ホンマや。生魚の臭いやな。でもどこからか分から……」
「シッ」と、陽太は住之江の言葉を遮った。

 住之江は小声に切り替えて、何ごとか尋ねた。

「声が聞こえる」

 しばらく二人は黙り込み、耳を澄ませてみた。内容は良く聞き取れないが、確かに声だ。しかも人の話し声である。
 各扉の向こうには人気は無いし、鍵もかかっている。しかしこれは明らかに空耳や幻聴の類いではない。
 幽鬼か、それとも悪霊か。その可能性も否定されるのにそう時間は必要ではなかった。
 聞き覚えのあるKWCの面々の声だったからである。
 注意深く聞くと、声の方向も特定出来た。それを辿った末、行き着いたのは奥にあった大きなロッカーである。

「……この中?」と、二人は顔を見合わせる。

 その頭の中ではあの面々が小人となってあの議論を交わしている世にもメルヘンな場面が繰り広げられる。

「まさか……なぁ?」
「いや、あの摩訶不思議な人達なら有り得る。羽を生やして飛んでも俺は意外だとは思わん」
 陽太は至極真面目な顔で言った。そしてごくりと息を飲みつつ、ロッカーの扉に手を掛ける。

「……行くぞ」

 そして陽太は思いきり扉を開けた。


「魚は焼くに限る!」
「馬鹿言わないで下さい! 秋サバですよ!? しめサバの方がいいに決まっています!」

 ロッカーの扉の奥から聞こえて来たのはそんな一週間振りの喧噪である。その中にいる波瀬の手には臭いの元になる大きなサバがあった。
 ただし、ロッカーの中ではなく、裏の鉄板を外した奥に広がる部屋だった。元々奥に部屋があり、その入り口をこのロッカーが塞いでいたのだ。
 入り口で呆然としている二人の背後からニュッと二枚の書類が突き出された。

「……っ!」声にならない悲鳴を上げながら二人は同時に後ろを振り向く。そこには武松が立っていた。
「入部届けだ。書きたまえ」
「い、いつの間に後ろに……?」
「君達が廊下に入って来た時からだな」

 しれっと答えるが、二人の人間の死角に隠れ続けるのはとても難しい。

「だったら話し掛けてくれても良いじゃないですか! 結構探したんですよ、ここ!」
「君達に謎解きを楽しんで貰う為、驚きという刺激を与える為に仕方のない事だったのだ」
 この時点で、陽太は武松に何と言おうが、その一切が無駄である事を悟った。

「しかしなんでまたあんな入り口なんです?」と、住之江がもっともな質問をする。
「古かった扉が壊れてしまってね。しかし直す予算はなかった。しかし部屋には扉が絶対に必要だ。だから余っていたアレを少しいじって利用させてもらっている。
 はじめは私も抵抗も感じたが、なかなか面白く、趣があってよかった。だから扉を直す予算が入っても、あれはあのままにしておいた」
「……これもこだわり道の一端ですか?」
「その通り。偶然がこだわりを生む事もあるという実例だ。」

 そう告げる武松は心無しか得意気だった。


 こうして森水陽太と住之江健太郎は彼等KWCの一員となり、果てしなきこだわり道に足を踏み入れる事になった。
 しかし、陽太はその道がいかに険しいものか、武松と会う事で少し分かった気がした。

(陽太の隠れサークルクエスト 完)

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